高市総理は早々に国際会議、トランプ来日等の外交デビューの場に恵まれ、高支持率で滑り出した印象です。今後の補正や来年度予算編成、具体的外交案件、閣外連立の維新との政策調整等、衆参過半数割れを考えると茨の道でしょう。高市さんには我慢を重ね、一歩ずつ自分の考えに近づく政権運営が求められます。後継を自認する第二次政権の安倍さんは、戦後レジームの脱却、安保政策転換等の右の翼を掲げつつ、地方創生や一億総活躍等リベラルの翼も用意し、日本政治と国民の日常を安定させた姿勢も後継してほしいものです。
内閣支持率に比べ、自民党支持率の回復はわずかです。それでも自民党は2位以下の政党の3倍近くの支持率を持ち、好き嫌いは別にして、現実にはこの政党が今しばらく日本政治の核となるだけに、自民党の「ここしばらく」を考えてみます。1955年(昭和30年)の立党以来、細川連立と民主党内閣の2度を除き、批判を受けつつも70年間日本の舵取りを担って来た自民党はどのような政党だったのか。
東西冷戦の激しかった1955年、左右社会党の合併で共産党と日本社会党の二つの社会主義政党の誕生に危機感を抱き、当時の自由・民主両党が合併し誕生したのが自由民主党です。結党の経緯から自民党は、反社会主義、反統制独裁、生産・分配の公的管理に反対の民主制・自由主義・市場経済擁護の現実処理政党でした。その後の社会主義国家の崩壊が、自民党が政権を担い続けた理由でしょう。従って自由と民主制を前提に、その避けえぬ欠点を是正する保守とリベラルの2つの政治理念を混在内包する政党が自民党なのです。
戦後復興・高度成長を経て日本は生活水準が向上し、国際化が進み、ネット社会となり、国民は多様な価値観に触れ、自由にそれを主張できる国になりました。一方で30年前の小選挙区制導入は、5人区の中選挙区制であれば20%の得票で当選できたのが50%の得票が必要な為、自分の政治理念を語らない(語れない)国会議員が増えた印象です。この現状の下で左右に特化した主張の政党が出現、自民党の保守とリベラルの翼をもぎ取ったのが、衆参選挙惨敗の原因の一つだと思います。
痛んだ右の翼を回復した高市路線を採るのか、穏健保守・穏健リベラルを包含した従来型の自民党の再生を目指すのか、それによって政界再編すら起こりうる現実を自民党現役の皆さんは真剣に考える時なのでは。