通常国会では、代表質問・一問一答の予算委員会質疑が続きます。少数与党の石破内閣は、国民の暮しに直結する予算案成立に様々な妥協を強いられるでしょう。国民の為の韓信の股くぐりはともかく、政権維持の為の筋の通らぬ妥協、後世の指弾を受ける譲歩はあってはなりません。焦点は所謂103万円の壁と企業団体献金の扱いでしょうか。財源を考えぬ集票目的の103万円の壁の処理は、提案者である国民民主党にも責任政党として一緒に政策立案に参加し、説明責任・共同責任を果してもらうべきです。
政党への企業団体献金の扱いは、民主制の肝である政治活動、選挙活動をどう支えるかに係るだけに、感情に流されず議論判断しないと、一部政党の基盤を不公平に崩すことになります。労組の組合費から個人献金を受けた政治団体からの寄付、政治活動として無税の機関紙収入、強固な支持団体に支えられる政党等々に対し、後援会中心の政党はどうなるのか。自民党の政治とカネ問題への怒りに加え、30年前の平成6年、現在の選挙制度、政治資金規正法の基本になった与野党合意の署名者・細川護熙総理と河野洋平自民党総裁の「政党助成費導入後5年で企業団体献金は廃止の約束」、「二重取りはいけない」等合意文書に記されていない発言を前提に、国会論争やマスコミ報道が、当時の経緯に関わったものとして、2回に分け事実を述べ、当時国会議員でなかった当選10回以下の皆さんの参考に供したいと思います。
消費税を創設した竹下内閣はリクルート事件で退陣。宇野・海部内閣でも伊藤正義政治改革本部長、後藤田正晴代理の下で政治改革の議論が重ねられていましたが成案に至らず、佐川急便事件・ゼネコン汚職等が続き国民の批判を受けました。議論の流れは「金権政治に陥るのは派閥の弊害にある。派閥は中選挙区(定数3~5)故に出来る。中選挙区を廃止、一人の当選者にすれば政党本位、政策本位の政治になり、政治とカネの問題はなくなる」等々。しかし小選挙区制には党内にも、野党社会党にも自らの当落もからみ反対論が強く、結局海部内閣は退陣し宮澤内閣に変ります。
宮澤内閣でもなかなか合意に達せず、世論は「政治改革が政治の全て」との雰囲気で、現総理の石破さん等若手の突上げも相当なものでした。私は当時副幹事長として政治改革本部の会議に参加し、交渉窓口の森政調会長(後に総理)との連絡役を務めていたなりゆきで、自民党野党時代も政治改革特別委員会に所属し、議論の調整に携わりました。宮澤内閣の不信任、細川内閣成立と現制度へ移行の基本合意となる経緯は、次回に詳しく記します。