コラム

週刊いぶき

3月10日

米国旅行から戻った方が、「不平不満があっても、米国でインフルに罹って、日本は有難い国だと思った」、「旅行保険に入っていて助かった」と話していました。米国は医療費(医師の収入・薬品代)が高い以上に、日本には誇るべき皆保険制度があります。支払った保険料の多寡に関わらず、日本では同じ病気には同じ治療が保険制度上保障されているのです。

 米国では人はそれぞれ民間保険に加入します。加入促進を援助する仕組(オバマケア)はありますが、提供される医療は支払保険料でカバーされるので、医療の質が違うのに旅行者は驚かれたのでしょう。日本では更に皆保険制度を補強する為、㋑掛った医療費の一定割合(3割以下)を所得に応じて負担する額が高額になると、公費でそれを肩替わりする高額療養費制度、㋺高齢者の保険料や自己負担額を緩和する高齢者医療保険制度があります。

 この制度を維持・機能させるには、だれかがその費用を負担せねばなりません。医療に加え年金・介護の三つの社会保障の負担構成を見てみましょう。(令和6年度・予算ベース)

◎年金給付62兆円=保険料47兆円+税金15兆円

◎医療給付49兆円=保険料25兆円+税金18兆円+自己負担6兆円

◎介護給付14兆円=保険料6兆円+税金7兆円+自己負担1兆円

私達の社会保障サービスは、支払保険料と自己負担だけでなく、国と地方自治団体の公費(国税又は地方税)で支えられています。自分の保険料や税負担以上に給付を受ける人がいる一方、医療や介護サービスを受けない健康で幸せな人もいます。しかし今後高齢化が更に進めば、年金受給者や医療・介護が必要な人は増えます。計算上は給付の額や質を抑えるか、保険料か公費か自己負担を増やさねば、計算上左右のバランスが崩れます。

予算修正協議の中で、立憲は高額療養費制度の負担上限引上げの政府案凍結を主張し、維新は保険料引下げの提案です。二つともに投票者である患者・保険料納付者には歓迎すべき提案ですが、実は矛盾する主張です。立憲の主張は医療費抑制とはならず、保険料引下げとは逆方向なのです。

 立憲、維新双方の提案を満足させるには、①医療費の無駄(?)の削減、②公費(税金・赤字国債)の増加しかないのは当然でしょう。しかし先週も述べたように「無駄」は人や政党の立場や理念で違ってきます。公費部分を増すには、既定予算のどこかを削減するか、新たな負担を見つけるかです。加算減算の主張は、全ての政党が責任を分担し、耳障りの良くないことも責任を分担し議論しなければ、社会保障制度そのものが崩壊する時がきています。