西田昌司参議院議員が沖縄那覇市で3日講演し、ひめゆり平和記念資料館の展示説明が歴史をゆがめていると発言。地元沖縄を始めメディアからの批判を受け、「何年も前に訪れた時の印象で話した」と謝罪しました。大東亜戦争終結の5ヶ月前、今から80年以前に米軍が沖縄に上陸、激しい地上戦のなかで日米双方で20万人が死去。この戦闘に多くの住民も巻込まれたことは、今も沖縄の人々のトラウマとして残っています。ひめゆり平和記念館は、看護用員として徴用された200人以上の女子高生が追い詰められ、136人が自決・死去した悲劇の歴史の展示場です。
歴史は常に権力の側、勝者の視点で語られると言われます。沖縄地上戦、そして終戦時の私は小学校2年で、ひもじさ・不衛生さ等のつらい記憶は鮮明ですが、戦場の悲惨さや何故戦争が起きたか等を賢しげに語れるはずもありません。「鬼畜米英が上陸したら、男は殺され、女子供は連れていかれる」と教えられ、終戦の玉音放送を聞いて大泣きに泣いたと後々母に言われました。終戦時に誕生の方で80歳、西田さんは生まれていません。戦争の現実を自らの経験として語れるのは、判断力が少し備わった今なら95歳以上でしょうか。
戦中、戦後復興期の悲惨さは、経済成長を経て行きとどいた時代に生れた西田さん達の世代にも語られ、また歴史として記されています。しかしこれらの語りや文献は、語る人や著す人の価値観に基くものです。それを引用し、自分の考えとして消化するには、勉強即ち異る価値観によるものも読んでみる、裏付けを検証してみる等の必要があります。私の経験でも、戦争中に「鬼畜米英」と教えていた先生が、戦後学校給食の援助物資を放出した米国に対し、「進駐軍ありがとう」とのポスターを描きましょうと言われたのには、子供心にも「おかしいな」と思ったものです。
憲法改正シンポジウムに招かれての西田発言なので、西田さんの言いたかったのは、「現憲法は日本に主権のなかった占領下で、大日本帝国憲法の手続き(勅令)で公布されており、主権を回復した日本国民の判断で改正すべき」だったでしょうか。そこに何故ひめゆりの話が必要だったのか。色々な記述の勉強、裏付けが充分だったか等、今後の糧にしてほしいと思います。メディアの価値観による風に流され自説を曲げる必要は全くありませんが、他の人に迷惑をかけぬよう、講演の際に私は5ツの「タ」に注意しています。①立場、②タイミング、③たとえ話、④他人の悪口・批判、⑤旅先での気のゆるみ。